無観客のフジロックだったらまだマシだったのでしょうか
北海道からこんにちは。瀬田と申します。
瀬田の知っているアーティスト、知らないアーティストが次々と出演表明や出演辞退を表明し混沌としているフジロックフェスティバルが22日に閉幕しました。
予想通りのこんな記事が出てしまいやっぱりこの時期に開催を強行したことは失敗だったのでしょうね。
みなさん心配していることが現実に起きたというか当たり前に起きてしまっている状況に不安と怒りを滲ませていることに断腸の思いで参加表明したアーティストの方々はたいそう胸を痛めていることと思います。
オリンピック開催はOKで音楽フェス開催は軒並み中止でふざけるなと言いたいですみたいなツイートもたまに見かけますが、批判されながらも無観客開催を決定したオリンピックのコロナ禍への最大限の配慮というものは感じられるものだったように思います。
一方で多くのフェス主催者は感染予防を努めていますとアナウンスしても結局上記のような記事が出ている時点で脇が甘いんだなと推察します。
何回も炎上している方なのですっかり見慣れてしまった感はありますが
ここで読み取れることは感染拡大を助長するような大規模なイベント開催に対しての配慮がなされているかどうかが多くの人の焦点であるということになります。
マヒトゥ・ザ・ピーポーさんという方が
「わたしはアーティストだ。音楽で生計を立てている。会社員が電車に乗って出勤するのと同じように、わたしは現場にいき、音を鳴らす。それが仕事だからだ。」
とフジロック出演への正当性を耳障りのよい言葉を並べて声高に表明していますが
よくわからないのが、企業の構成員であるサラリーマンは、その会社が営む事業内容に準じた働き方が優先されてしまうために、会社員一人一人においてはある程度働き方の自由は制限されることに対して
自由業であるミュージシャンはフジロックに出ることは決して義務や上司の意向で半ば強制的に出演させられているのではなく、そのミュージシャンの信念に基づいた個人の選択によるものなんじゃないのという点。
つまりマヒトゥ・ザ・ピーポーさんはわざわざコロナウイルス感染拡大のリスクを高めるような現場へ自ら出向き音を鳴らすことが仕事だと言うのはちょっとやばそうな人だなと少なくとも自分はそう思っています。
このようにミュージシャンの皆さんはどうも語彙力が足りていないようで全体的に幼稚な印象が拭えません。
全く明るい兆しが見えない音楽業界ですが何か手伝えることはないだろうかと悩んでいる今日この頃です